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鐡人2.0

TAKESHI ONO

溶接担当

CHAPTER01

「部署がなくなるらしい」

やめたくなかった。

あきらめたくなかった。

ある鉄工所で溶接職人としてはたらいて13年がたったころ。所属部署が廃止すると告げられた。べつの部署ではたらく選択肢もあるなかでふとよみがえったのは、地道に技術を磨いた素人時代の記憶。
「ここであきらめたら今までの時間がムダになる。べつの場所で溶接にチャレンジしよう」わきあがる思いは、しだいに火花のような闘志に変わった。

闘志をぶつけるさきは、知人に紹介されていった会社見学でみつかった。職人の活気。工場の雰囲気。「池上鉄工所ならモノづくりにうちこめる」職人としての本能が、そういった。

CHAPTER02

高校時代からの悲願。

宮崎に、金メダルをもたらしたい。

思った通り、モノづくりに打ち込める環境がととのっていた。だから、溶接の強度や美しさを競う大会で全国2位になるまで努力ができた。開催60回以上を数え、各地から腕自慢が集まる大会。全国の舞台に立てるのは宮崎県でたった1人だ。

「自分よりも若いのに、レベルも意識も高い人がたくさんいる。負けていられない」

退勤後や休日に自主練習にはげむ日々。「空手部だった高校時代に負けないぐらい練習していると思います。ちなみに当時は全国にいくことすらできませんでした」。無論、銀メダルで満足はしていない。

CHAPTER03

日本イチの職人へ。

業務も大会も、全力でやる。

技術で日本イチになる...だけでは日本イチの職人にはなれない。「大会への挑戦は通常業務外。そちらにばかり力を入れて業務をおろそかにしてはいけない」。業務にも大会にも全力をそそぐ。

時間は自分でつくる。練習用の道具は自分のお金で買う。組織の一員としての役目を果たした上でひとりの職人として頂点にたつ。
そうして初めて日本イチの職人になれると思っている。人生でつらぬくと決めている、職人としてのこだわりだ。

CHAPTER04

モノづくりだけじゃない

ヒトづくりも職人の使命だ

厳しくしすぎて反省したことがある。
優しくしすぎて後悔したこともある。

職人歴20年を超えたいま、求めるのは自分の技術だけではなくなった。20代が増えた。女性も仲間に加わった。

「世代や価値観のちがう後輩たちにチカラを発揮してもらうためのコミュニケーションを、いままさに勉強しているところです」

職人としてだけでなく、師匠としても高みを目指す。
その志が、池上鉄工所を宮崎イチにする原動力になると信じている。

1994年入社
工事・配管担当

HIDEYUKI YOKOYAMA

2008年入社
製缶・溶接担当

TAKESHI ONO

ライバルに聞くヒストリー

「出来ない」の概念がない男

ぼくが「これくらいでいいかな?」と思うタイミングでもギリギリまで品質を高めるために溶接をつづけるのがたけぼーという男です。とにかくストイック。プライベートでもそう。

ロッククライミングをやる!と言い出した数ヶ月後に見違えるぐらいマッチョになっていたことがありました。たまには気を抜けよ思いますが...抜かないでしょうね、小野は(笑)