ENTRY

FOOD LIFE OF MIYAZAKI

宮崎の食

SCROLL

PROLOGUE

自然に恵まれ、

素材に恵まれた場所。

玄関口のブーゲンビリア空港に降り立つと、南国の空気が一瞬にして全身をつつみこむ。太陽がでている時間をあらわす日照時間は全国トップクラス。
一年を通してあたたかな光がふりそそぎ、草木はよくそだち、動物もよくそだつ。
鶏、牛、豚、食材として愛される家畜が豊富なのはそのためだ。と、思えば、主役はおれだ!といわんばかりに太平洋の海の幸が輝きをはなっている。食材に花をそえるフルーツやおさけもわすれてはいけない。陸で、海で、いろんな食文化がまざりあう宮崎。
『食の宝庫』とよばれるのも当然だ。

EPISODE01

ソースに宿る、

モノづくり精神。

宮崎の食ときいて多くのひとが思いうかべるのは『チキン南蛮』ではないだろうか。その誕生はいまから60年以上前までさかのぼる。
場所は池上鉄工所のある延岡市。洋食レストラン『おぐら』の創業者・甲斐義光がメニューを増やそうと考えたのがはじまりだった。

当初は揚げたチキンに甘酢タレをかけただけ。
十分おいしかったが「これではご飯のおかずにはならない」とタルタルソースをかけたのが定番になっていく。現状に満足せず、改良をやめない姿勢は、モノづくりの街と呼ばれる延岡の精神があらゆる人々に根づいている証だろうか。

義光の甥で『おぐら』現社長の輝貴はいう。
「むかしは宮崎はまずしい地域で、肉体労働者が多かったんです。そこにきてこのあつさですから甘酢っぱいタレが人気でした。そういういみでチキン南蛮は、宮崎からうまれたからこそ普及したといえるでしょう」

株式会社おぐら
代表取締役社長 甲斐輝貴
外部リンクhttps://ogura-nobeoka.com/

EPISODE02

ド素人でもやる。

チキン南蛮を国民食へ。

輝貴は18歳からの10年間、東京で中華の鉄人・陳建一の弟子として修業をつんだあと『おぐら』へ帰ってきた。ミッションはもちろん、チキン南蛮をもっと多くのひとに口にしてもらうこと。

「経験、勘、度胸。時代にあわなくなっていたいわゆる“KKD経営”から抜け出すことが必要でした。そんなときに起きたのがバブル経済の崩壊です。あのとき『おぐら』はいつつぶれてもおかしくない状況でした」
厨房では修業時代の経験を若手につたえることで人と技術をそだてた。

経営者としては大胆な事業拡大をねらった。

「経営者として当時はド素人。挑戦しながら学んでいきました」すべてがうまくいったわけではない。

それでも、「できない」とおもわれる挑戦をした輝貴とその仲間たちがいなければ、
チキン南蛮が「国民食」とよばれることは、間違いなくなかった。

EPISODE03

人呼んで食の宝庫。

日本イチの食材が生まれる場所。

全国1位。全国2位。全国3位。鶏、豚、牛の宮崎の生産量ランキングだ。この数字は、県内どこでもいつでも一流のお肉にありつけることを意味している。ストレスフリーに育てられた鶏はチキン南蛮に、鳥刺しに、炭焼きになる。質が高く安全な豚はしゃぶしゃぶに、肉巻きおにぎりになる。うまみをたっぷりたくわえた牛はステーキに、焼肉になる。それぞれに『おぐら』の​​輝貴のような、高い志で宮崎の食文化をささえ、世の中を支えようと汗を流すひとがいる。「食の宝庫」は、つくり手がいなければ成り立たない。

EPISODE04

あれも、これも、おいしい。

トップの座を狙う食材たち。

海岸線の長さはおよそ400キロ。東京から大阪の直線距離とほぼ同じだ。その海岸線が面する太平洋には、名前を聞くだけでヨダレが出そうな海の幸が輝きを放っている。全国で3番目にたくさんとれるマグロ、生産量TOP10常連のカツオやアジ、秋には伊勢海老がとれ、冬にはブリなどが食卓にならぶ。それらにあわせる焼酎や、デザートとなるフルーツも忘れてはいけない。肉が君臨するトップへの道は険しいが、それぞれのつくり手たちは、のびのびと、前むきに、品質を高めるために日々、汗を流している。