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PEOPLE OF MIYAZAKI

宮崎の人

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PROLOGUE

誰にも想像できない。

だからこそ味がある。

やわらかな笑顔。おだやかな口調。ひでじビール株式会社の社長・永野時彦は、温厚な性格のひとが多い“宮崎らしさ”を身にまとう人物だ。しかし、ひとたびビールの話になれば、その表情はアスリートのようにいさましくなり、その口調は政治家のように軽やかになる。ビールへの異常な熱意があふれ出るのだ。それをかたどっているのは、ドラマの主人公にしても出来すぎな壮絶な人生。
ビールづくりで宮崎を変革しようとする男の、挑戦の物語。

EPISODE01

「俺と一緒にやらないか?」

ビール素人の挑戦がはじまった。

スーパーマーケットで働いていた27歳の永野は副業で飲食店を経営していた。「人脈を広げればなにかの役にたつかもしれない」とオープンした小さなバー。そこの常連だった『ひでじビール』の運営会社の役員に「一緒にやらないか?」と誘われたのがはじまりだった。「やりたいことがあるので...」と断っていたその意思は、ある新聞記事がきっかけでゆらぐことになる。『宮崎初!地ビール事業に参入!』の見出し。その横には『ひでじビール』の社名。話には聞いていたけど、メディアを通して知ると、なぜだか興奮した。

「こんな田舎で、こんなにカッコいい挑戦をする会社が本当にあるんだ」。
気づけば受話器を握りしめていた。
「一緒にやらせてください!」。1996年10月のことだった。

宮崎ひでじビール株式会社
代表取締役 永野 時彦
外部リンクhttps://hideji-beer.jp/

EPISODE02

「おいしくない」からのスタート。

最高品質をめざそうと思った。

話題性に後押しされてスタートダッシュをきった『ひでじビール』は半年も経たないうちに売れなくなった。理由は「おいしくない」という単純なもの。6年連続赤字の状況から抜け出すために下した決断が、ビールが格段においしくなるといわれる『酵母の自家培養技術』の導入だった。
毎週金、土、日にスペシャリストにきてもらい、社員2人と永野の計3人でノウハウを吸収。その時間をつくるために通常業務を木曜日までに終わらせる生活を3ヶ月続けた。「社員はほとんど寝ずにがんばってくれました。彼らがいなければ今はありません」。

血のにじむ思いで吸収したノウハウ。それを使ってつくったビール。はじめて飲んだときのことを永野は少年のような目で振り返る。
「いままでのビールはなんだったんだ!飲み物で感動することなんてあるのか!そう思いました。これは売れると確信しました」。

EPISODE03

まさかの事業停止命令。

それでも消えなかった

ビールへの熱意。

生まれ変わった『ひでじビール』は順調に売上を伸ばしていった。しかし...2010年。「将来性がない」と社長から事業の打ち切りを命じられた。軌道に乗りはじめたばかり。受け入れられなかった。「買い取ってくれる人はいないか」と県内の会社を回った。「自分に買わせてください」と自社の社長に直談判もした。無理だと思っていたが、思いは伝わった。「お金を貸してくれる人がいるならお前が買え」と条件つきで許してくれた。そこで手をさしのべてくれたのは、地域活動を共にしていた行政の担当者。彼が紹介してくれた金融機関からお金を借りた永野は『ひでじビール』を買収し、社長になった。「“担保はオレだ!”と銀行で怒鳴ったこともありました。必死すぎておかしくなっていたと思います」。黒歴史のように振り返る。しかしその熱意が、あらゆる人の心を動かしたことに違いはなかった。

EPISODE04

キレのある挑戦で、

コクのある宮崎を。

永野の想いは「多くの人にビールを届けたい」から「ビールを通じて宮崎を盛り上げたい」に変わっていた。力になってくれた地元に恩返しがしたいからだ。コンセプトは『オール宮崎』。原料からタンクまでビールづくりに関わるすべてのものを宮崎県産にすることで、『ひでじビール』が売れれば宮崎が盛り上がる仕組みをつくるプロジェクトだ。スーパーで働いていた当時は想像もできなかった人生。その激動ぶりにもっともおどろいているのはほかでもない永野本人。
「公務員になろうとしていたほどの安定思考の人間でした。それがいまでは真逆の人生。どうなるかわからなくてもやってみる。必死でやればなんとかなる。人生って、そんなものなんですかね」。できないと思われることに挑戦しつづけてきたこの男が、ビール業界に、宮崎に変革を起こす日は、遠い未来ではないかもしれない。